家に帰ると、妻が寝息を立てていた。
訪問看護の看護師がいろいろしてくれていたようだ。
私は、洗面所で手を洗い、昼間の情事の証拠を消した。
指には、簡単には落ちない毒の香りがこびりついていた。
実際はすでに落ちているはずなのに、神経質になっていたのかもしれない。
女は、ほかの女の匂いを微量でも嗅ぎ分けるという。

もう認知能力も低下した妻に、何を恐れているのだろうか。
私は、流し水に手を当てながら、鏡に映った自分の顔を見た。
悪いことをした子供のように、臆病風に吹かれたような顔に見えた。
「なぁに、バレるもんか」
そう嘯(うそぶ)いて、水を止めた。
胸ポケットには、ラブホテルのメンバーズカードが入っていた。
それを手に取り、財布にしまう。
「なおこさんは、また会ってくれるという」
私は、独り言をつぶやいた。
「いつでもメールして」
そう言って、彼女はメアドを交換してくれた。
「いいの?」
「お互い、がんばってるんだから、それくらいの息抜きは神様も許してくれるわよ」
その言葉に私は安堵した。
「そう、息抜きさ。リクリエーションさ」
妻以外の女性とセックスすることが、そんなに後ろめたいことだろうか?
風俗で遊ぶ男もいるじゃないか。
まだ特定の女性と遊ぶ方が、ちゃんとしているんじゃないか。
何が「ちゃんとしている」のか、わからないが、自分にそう言い聞かせていた。

夕飯の用意をしなければならない。